6
あの日、私はいつものように早朝に家を出て、昆布刈石にむかったと思っていたのだが、なぜか翌日の朝まで帰宅していなかったらしい。
「りゅう」に、異次元にでも飛ばされていたのだと思う。
毎日のように、こども一人で家に放置していたわりに、明け方に帰宅したときにわたしの姿が見えなかったことに心配した母は、帰宅した足でそのまま私を探しにきたらしい。
唯一の手がかりである、「昆布刈石展望台」が好きという情報をもとに走ってやってきた母が目にしたのは、崖から飛び降りようとしている私だった。
「育児放棄しすぎて自殺をはかった」と思った母は、その後私を連れて離婚。田舎町から離れ、そのまま母親の地元の町へ引っ越した。
当時8才にして自殺未遂なんて、早すぎない?しかも、父さん、なにも悪くないよね?とばっちりでは?
まあ、不器用な母なりの愛情だったんだろう。
今こうして、昆布刈石展望台からあの日と同じように海景色を眺めているのは、何十年と会っていなかった父親の訃報をきいたからだ。
船の事故で、帰らぬ人となったらしい。
遺体はあがらなかったそうだ。
私を寂しくさせた罰に「りゅう」が「あちら」に連れていったのだろうか。
…お父さん、猫、嫌いだった気がする。
葬儀に関しては、母はどうでも良さそうに「私は面倒だから行かない。ごめん、碧(あお)だけ行ってきて」と送り出していたので、もう父への情もなにもないようだった。
ひどいな。
「りゅう」は、結局何だったのか、いまだにわからない。
確実に、この世のものではないことは確かだ。
怪物だったし、天使だったし、お友達だった。あの「りゅう」は、今も私のように育児放棄された子供たちと一緒に、この場所で遊んでいると思う。
聞けば、毎年1人くらいは子供がここから落ちて亡くなるという話だから。
7
海に呼ばれたあの日。
どれだけ親を憎んでいても、結局私の命を生み出して、助けてくれたのは親なのだ。
この「碧」(あお)という名も、海辺の町で出会った両親が、わたしの生まれた日の海の碧色に感動してつけたそうだ。
わたしは、このお腹に宿る命を両親のようにちゃんと守ってあげたい、と腹部をなでた。
そうして、決意をこめて愛車に乗り込み、町をあとにした。
もう、ここに来ることはないだろう。
あとがき
舞台は、北海道十勝の浦幌町。昆布刈石展望台から見える風景が好きで、何かに残したいとおもい、無理やりお話をつくりました。
その場所で見た風景の感動をもとにした、実話ベースで「人ならざるものに、海に連れていかれそうになった放置子」の話を作った感じです。
0コメント