十勝のシンガー「Tefu.」さんからヒントを得て作ったお話です。
実は、仕事の用事でお話したことがある方なのですが、輪廻転生・前世という話から着想をえて「実は生まれる前から出逢ってたら面白いよね」というお話でした。
割と作ったままなので、どうぞお楽しみください。
1.
むかしむかしのお話です。
遠い異国の、未開の土地だとされる広大な山々のその奥深くに、村人の間で助け合いながら暮らしている人々がいました。
ある集落は、野草や木の実を収穫し、時には命がけで獣を狩り、味わいにこだわって食物を料理することに長けた「狩人」の集まりでした。
ある集落は、植物や狩人が飼った獣の毛皮を活かし、色とりどりの衣服や装飾品を生み出すことに長けた「お針子」の集まりでした。
このように、家づくりにたけた「建築士」や、集落でつくられた収穫品・衣服などの日用品を離れた地域の集落まで何日もかけて移動し、交易を行う「運び屋」など、それぞれの「チカラ」を生かして集落ごとに助け合って村での生活を送っていました。
そのなかでも、特に崇められていたのが「神の子」の集落でした。
「神の子」の人々は集落を束ね、村を守る神様を祀った祭壇を守っています。また、神様の力を授けられたとされ、体に起きた謎の症状を不思議な力で解決するチカラをもち「医者」のような役割を担っていました。
集落の人々が仕事で負った傷を手当するだけでなく、手をかざすだけで痛みを和らげる不思議なそのチカラこそ「神の子だからこそ授かった」とされていたのです。
その癒しの力のほかに、神と会話する力や、その姿を見ることができる力など、他の集落の民には無いチカラがあるので、村の中で一番の権力を持つ者たちでありました。
日々、神様からのお言葉を賜り、祭壇を管理し、傷ついた村人を癒し、その一生を終えるのです。
2.
今日は、ひと月に一度村人全員が祭壇に集まる祈りの日です。
祭壇は、神の子の集落の一番奥、村を守る木々を背にして、村を見守るように存在しています。祠のような神社のような、人が横たわることができるような大きさです。
神様が様子を見に来る時の塒(ねぐら)のようなものらしいので、そこまで大きくなくてもいい、というのは、昔から伝えられてきました。
今日の儀式は、祭壇の前の広場に集落ごとに並び、集落の長が奉納品を神様に納めるというものです。
今日は、最近村を襲ってきていて、やっと仕留めることができた「大熊」を奉納することになっています。
体がしっかりした「狩人」の大人の男たちを4人縦に並べたような大きさの熊で、奇跡的に死人はいなかったけれど、暴れてしまうと「神の子」が何人もチカラをあつめて治療にあたっても完治までに何か月も時間が必要なくらいのけが人が毎日のように多発していました。
「狩人」の集落は、その「大熊」の首。
「お針子」の集落は「大熊」の毛皮で作った神様用の羽織。
「建築」の集落は、「大熊」の骨で作った文用の小さな机。
「運び屋」の集落は、「大熊」の牙から作った、移動中に身に着ける対のお守り。
それぞれの長が進み出て、集落ごとの品を祭壇の前の棚に納めます。
最後は、私たちの「神の子」の集落の番です。
神の子の長が進み出る後ろに、妙齢の女性が後ろをついていきます。
長が祭壇に向かって告げます。
「神の使いであるこの熊の命は、ありがたく私たちで頂き、また貴方様のもとにお返しします。神様のもとまで迷いなくたどりつけるように、『てふ』の祈りの歌を捧げさせていただきます。」
その言葉の後に、後ろにいた女性『てふ』さんが、奉納品の並んだ前に進み出ていきました。そして、どんどん言葉を紡いで歌に載せていきます。
「村を守る神様。神の使いよ。その命をいただき、つないで、生きていきます。
人間の傲慢さを忘れず、山々の木々や命を大切に扱い、日々を生きていきます。
神の使いがあなたのもとに帰りつけるよう、どうかお導きがありますように」
彼女は、そろそろ齢30ほどになる、集落の中では長の次に「チカラ」がある人でした。
キリっとした、意思がはっきりした綺麗な目をした女性で、私もこんな風になってみたいなという顔をした方です。
体の痛みや不調を訴える人々を癒すほかに、その歌声は更に「チカラがある」と言われています。
歌を聴いた村人たちは、治療を受けた後のような心地でうっとりと聞きほれてしまう、はっきりと透き通った、凛とした声でありました。大声ではないのに、200人弱いる村人たちがはっきり聞こえる声量。細身の体のどこにそんな力があるのか、それをいつも疑問に思っています。
私も、毎回、全身の感覚が研ぎ澄まされ、心が落ち着くのに血が湧きたつような不思議な感覚に身体を震わせながら歌声を聴いています。
癒される・ゾクゾクする・うっとりする。これは、人間だけでなく、神様も同じことを思って毎回聴いているようです。
『命への感謝を忘れているから、熊を君たちのもとへ送った。改めて命の重みを感じているならよろしい。きちんと熊を迎えにいかないとな。
それにしても、てふの声は、私のところにいた時の「あの子」を思い出すな。きっとてふは覚えていないだろうが、懐かしい、癒しの歌だ。また聴かせておくれ』
てふさんの歌声だけは、神様にはっきり届くそうで「集落で唯一、神に言葉を届けられる人」でもあります(神の子の長も言葉を届けられるけど、年々その精度が落ちてきてしまいました)。
…神様の言葉がわかるのはなぜかって?
私は唯一、自分の声がない代わりに神様の声を聴くことができるからです。神様の声を拾って皆様にお伝えするのが役割なのです。
生まれつき言葉が話せないので、すべて言葉を書いて、伝えていました。
いっぱい自分の声で話して、村や集落の人々と気持ちを通わせることがしたいのに、それはどんな「チカラ」をもっても治療できないことだそうです。
だから、きれいな声をもつ「てふ」さんが、私はとても好きでした。隙あらば、いつもくっついていたと思います。
てふさんの歌の終わりと共に、祈りの日は終わります。
今日は、大熊の肉が大量にあるので、狩人たちが作った料理を村人全員で囲んで宴を行います。こういう日ぐらいじゃないと、他の集落の人たちと交流できないから、私はとても楽しみでした。
0コメント